聖書について
|
スポンサードリンク |
ホーム>聖書について |
・「モーセの十戒」の「何々をしてはならない」という言葉、 この言葉はヘブライ語であるが、 本来の意味は「あなたはわたしのほかに、なにものをも神 とはしない」という意味である。 ・つまり、あなたが私(神)をほんとうに信じているのならば、 ほかになにものをも神とはしない。するはずがない、という 意味である。 ・大切なのは、「神を信じること」であって、律法違反は 神を信じていないときの現象であり、律法違反によって 「不信心」がわかる、ということである。 ・「律法主義」は律法をまもることを「絶対」化し、 即ち、神よりも律法を絶対とすることにより、 かえって神から離れる結果となってしまった。 ・では「律法」は守らなくてもよいのか、そうではない。 やはり神との契約であり、守らなくてはならない。 ・しかし、誰も守ることができない。 ・守らなければ裁きを受けなくてはならない。 神も裁くと契約した以上、裁かなくては「神の義」が立たない。 ・「神は愛」である。愛であるから裁きたくはない。 しかし裁かなくてはならない。 ・そこに神が御子「イエス・キリスト」をこの世におつかわしに なった理由がある。 ・御子「イエス・キリスト」がわれわれ罪人の身代わりとして、 十字架にかかって、死んでくださった。 そして死にも打ち勝って、三日目に死人のうちからよみがえらされた。 ・神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。 それは御子を信じるものがひとりも滅びないで、永遠の命を得させる ためである。 神が御子を世につかわされたのは、世を裁くためではなく、 御子によって、 この世が救われるためである。 ヨハネ3;16-17 |