聖書について
- 杉原千畝・・6千人の命のビザ発給 -

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・杉原は、1936年にバルト海東南岸、リトアニアの首都カウナ
 スに日本領事代理として赴任した。
・当時、日本政府は、ナチス・ドイツと盟友関係にあり、ナチス・
 ドイツによる逮捕、虐殺を逃れるユダヤ系ドイツ人やポーランド
 人にビザの発給をしていなかった。

・1940年7月〜8月、杉原は日本外務省の訓令に背いて、人道
 上の立場から、ユダヤ難民に第三国へ移住するための日本通過ビ
 ザを手書きで発給し続け、6千人のユダヤ人の命を救った。

・杉原は、敗戦後、ソ連に抑留され、10年ぶり日本に帰ってきた
 が、行政機構改革の縮小計画に伴い、2か月後外務省を依願退職
 した。失意の退職であった。
・その後、商社などに勤務のかたわら翻訳業に従事、1986年、
 86才で死去。

・イスラエル政府には、「諸国民のなかの正義の人」に感謝する制
 度があり、戦後、杉原を探していたが、杉原が「センポ・スギハ
 ラ」と名乗っていたこともあって、なかなか見つからなかった。
・が、1985年1月に、「諸国民のなかの正義の人」賞を贈り、
 杉原の行為をたたえている。
・さらに、1990年、「ワレンベルク賞」が贈られ、イエルサレ
 ムに顕彰碑がたてられた。

・1991年独立したリトアニア共和国では、首都ビリュニュスに
 「スギハラ通り」が設けられている。

・日本政府は、1994年9月、「ビザ発給の責任を問われて解雇
 された事実はない」と公式見解を発表し、併せて、杉原の名誉を
 回復し、その労をめぎらった。
・故郷、岐阜県八百津町では、杉原の功績を讃えて、1992年に、
 「人道の丘公園」を建設した。